小説

ヒエロニムスの恋人

1.
僕の彼女は怪物を飼っている。こいつ絶対に思想なんぞではない。ぶよぶよとプリンみたいな皮膚を持つオゾマシイ怪物を餌づけし、四六時中と従えているのだ。そして不気味に笑う。
「ひ、ひ、ひ」
まったく半笑いのような表情で凍っておるので、真実それが可笑しくて笑うのかどうか僕には分からない。しかし焦点の合わない赤い瞳で首を四十度も傾げ、骸骨をゆらすように彼女は、ひ、ひ、ひ、と三度、常に正確に三度、少女のあどけない顔のまま痙攣的に笑うのだ。
で、怪物はいつも彼女のそばにいる。ヒエロニムス・ボシュの絵画の悪魔どもかあるいは南洋でシュテュンプケ博士が見つけたとかいう「鼻行類」のようなそれは都合三匹、交代で彼女をボディガードしている。
鶴みたく伸びた長い鼻、黄色い皮膚、腹はビッグバードより膨れている。目は宇宙人のグレイそのもので「ぶおー、ぶおー」と鳴くのだ。もっといろんな形があり、赤も青も緑もいるが、どれもやはりオゾマシイ。この世のものとは思いがたい。
「ひ、ひ、ひ」
と笑いながら彼女が怪物たちに上げる餌は骨付きの高そうな赤身の肉だ。僕の家では鍋パーティーでもガマンして買わない上等なのを惜しげもなく怪物にやる。牛の肉かと聞いたら違うと言う。豚か鳥かと聞いても違う違う。まさかまさかと蒼ざめたら、安い食用ウサギの肉だと白状した。ウサギである。昨今でもこっそりソーセージに使われるそうだから驚かないが、それにしてもウサギだ。いったいどんな流通ルートがあるのか計り知れない。


2.
「今日は待っているよ。いるからね。来るよね来るよね」
放課後、授業が終わって伸びをしていると声をかけられた。セーラー服の彼女は儚げな小さな女子中学生にしか見えない。しかし今でも学校の隅で恐ろしい怪物が彼女を待っている。僕はヒヤヒヤしながら分かったと返事した。
待てばクルクル。彼女はあそこで待っている。廃墟で待っているのだ。学校の近所には「ガス爆発マンション」と呼ばれる廃墟がある。名の通り住民がガス爆発で死んだために空室が増えて、ついに誰もいなくなったという伝説のある建物だ。その怨念でお化けの出るという怪談もあるが、いるのはウラメシヤではなく怪物の群れである。
コンビニに寄って、例のものを買う。こちらも必死だ。気にいられようと気にいられまいと、恋人である僕に危害はないらしいのだが、心配の種は芽吹き続ける。なんせ告白したときには知らなかった。学校では笑わない彼女があんなふうに笑うなんて思いもよらなかった。怪物なんて気づきもしなかった。もう引き返せない。


3.
「ひ、ひ、ひ」
彼女は待っていた。たくさんのオゾマシイ怪物に囲まれて、栗色の短めに切りそろえた髪に風を受け、真っ白なワンピースを着、笑い、立っている。
「買ってきてくれた?」
うん、と僕はうなずく。新発売のポテトチップスを渡した。彼女はニンマーと微笑み、両手で受け取る。怪物たちはとくに感想もなく「ぶおー、ぶおー」と鳴いていた。
彼女は袋を開けて、ガス爆発マンションのガラスのない窓から青空を眺めながら、チップスを一枚パリッと食べた。横顔を見るとなんとなく目が金色に光って見えた。
「やっぱり、キミの買ってくるお菓子は美味しいなあ」
男の子みたいに感心するのだ。その彼女は人並みの少女みたいに可愛くて、いつも僕は傍らにいる怪物たちを忘れそうになる。でもいる。怪物は絶対にいる。僕はその影に怯える。
「いっしょに食べる?」
「いらない」
「そうか」
彼女はひどく感心したように頷いて、ポテトチップスをばりばり食べ続けた。風が吹いている。昼なのにガス爆発マンションはひどく暗く、太陽は遠かった。
「そうだよね」
呟く彼女は、すこし淋しそうだった。